パパママ息子

乳幼児の息子がおります。子育てに関したりしなかったりするアレコレ書いてます

劇場版「うちの息子」無限抱っこ編

生後2ヶ月を過ぎたあたりから息子に色々と変化が訪れた。特にコミュニケーションに関する発達が著しく、ここ最近は「あー」とか「うー」とかの特定の意味を持たない喃語が達者になってきたのも大きな変化の一つだ。

 

こちらが目を見て話しかけるとニコッと笑って一生懸命に「あーうー」と喃語で返事をしてくれる。時折、空耳的に「パパァ...」と発音した様な気がして隣にいる妻に「いまパパって言ったよ」と報告すると「今のはママだね」と真顔で釘を刺される。お互い「先に息子にパパorママと呼ばれたい欲」が強すぎてこの話題は衝突しがちだ。

 

もう一つの大きな変化は自身の「機嫌」を表現出来る様になってきたことだ。声色やちょっとした仕草で機嫌の良し悪しを伝えてきてくれるので、以前よりも格段にコミュニケーションが取りやすくなった。親としてはこうした成長のひとつひとつが非常に感慨深いものだが...。

 

しかし。しかしである。

 

子供の成長がもたらしてくれるものは、必ずしもすべてが無条件で喜ばしい変化とは限らない。

 

最近はどうやら「抱っこ」がお気に入りの様で、ベッドにしばらく寝かせておくと寂しそうに「うーうー」と泣くようになった。可哀想なので、家事を途中で切り上げて様子を見に行くのだが、実は息子は全く泣いておらず満面の笑みで私を迎えてくれる。そう。泣いている「ふり」をしていたのだ。

 

泣いているとママかパパが様子を見に来てくれる事を覚えたらしい。こうしてうちの息子の無限抱っこ編が幕を開ける。

 

以前まではちょっと抱いて適当にあやして、そのままベッドに置いても特に不満を出さなかった息子が、最近は生半可な抱っこでは満足しなくなった。スマフォを見ながらの「ながら抱っこ」なんてもってのほか。スマフォを足でゲシゲシと蹴り上げながら「もっと俺を全力であやせ」と無言の圧をかけてくる。

 

息子はすっかり全力であやされないと満足できない体になってしまったようで、雑な抱っこではむしろ機嫌を損ねてしまう懸念まである。なので昨今は息子の意に添うように色々と趣向を凝らした本気の抱っこを文字通り日夜研究している。

 

オーソドックスな流れとしてはまずは基本の横抱きから入って、様子を見ながら縦抱きにシフトチェンジする。その状態でひとしきり「いないいないパパァ」(いないいないバァの亜種)を10回ほど繰り出し、ありとあらゆる肯定的な言葉で息子を褒めちぎり続ける。

 

徐々に上がっていく息子のテンションに合わせ、タイミングよく縦抱きしたままスタンディングスタイルに切り替える。立ち上がりながら、体を軽く揺らして緩急をつける細かい配慮も忘れない。息子が「フゥー」と雄たけびを上げたのを合図に、広大な2LDKの自宅内部を所狭し(と言うか狭い)と練り歩き始める。

 

リビング→キッチン→寝室→キッチン→リビング...をグルグルと歩き回りながら、最近は妻は童謡を歌って聞かせている。差別化を図りたい私は妻の童謡に対向して、童話を話して聞かせるスタンスが定着した。

 

昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいて、おじいさんが山へ芝刈りに、おばあさんが川へ洗濯に行くと、なんと川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ...と話していて、いつも気になるのは一体「どんぶらこ」とは何なのかと言う事だ。

 

どんぶらこ...どんぶらこ...何かが浮かんでいるときの擬音語って「ぷかぷか」の方がメジャーなイメージがあるけど、桃太郎においてはあくまでもオノマトペはどんぶらこ...。

 

しかしこれまで全くと言っていいほど、桃太郎以外では「どんぶらこ」と言う単語に遭遇したことがない。

 

まさか...まさかとは思うんだけど「どんぶらこ」ってもしかして「川上から流れてくる大きな桃」にだけ適用される擬音語だったりしないだろうか?

 

あり得ない。「川上から流れてくる大きな桃」にだけ適用される擬音語なんて、いくら何でも限定的すぎやしないか?汎用性が低すぎる。

 

もし仮にそうだとして、そもそも大きな桃ってなんだ。

 

どの程度大きかったら「どんぶらこ」なんだ?

 

どの程度小さかったら「どんぶらこ」じゃなくなるんだ?

 

と言うかほかにどんな活用があるんだ?

 

桃以外の大きな何かが流れてきたらそれは「どんぶらこ」になるのか?

 

桃以外の大きな何かってなんだ?

 

川ってそんなに頻繁に大きな何かが流れていたりするか?

 

わからない。見たことない。

 

少なくとも33年間生きてきた中で桃太郎の話以外で「どんぶらこ」とは一切関わってこなかった。そんな私にさも熟知していると言わんばかりの顔で何も知らない息子に対して「大きな桃がどんぶらこ」なんて言う資格があるのだろうか?

 

いつか息子に「ねぇ。どんぶらこって一体何?流石に川上から流れてくる大きな桃にだけ適用される擬音語なんて限定的過ぎて言葉としておかしいと思うんだ。どの程度大きかったら桃はどんぶらこと流れてくるの?逆にどの程度小さかったら桃はどんぶらこじゃなくなるの?そもそも桃以外の大きな何かが川上から流れてきたらそれはどんぶらこなの?ねぇ。お父さん。どうぶらこっていったい何なの?ねぇ?」と聞かれた時になんて答えたら私は父の威厳を保てるだろう。良く知らない言葉を知っているが如く振る舞い息子に言い聞かせていたなんて知られたら一体どれだけ息子から軽蔑されてしまうのか...怖い...「どんぶらこ」と言うのが怖い...。

 

なんて話しながら葛藤している内に気づくと息子は腕の中で寝ている。起こさないように細心の注意を払って息子をベッドに置いてみると、わずかな振動を背中で察知した息子の目がカッと見開いて再び腕の中で暴れ始める。

 

仕方ないのでまずは基本の横抱きから入って、様子を見ながら縦抱きにシフトチェンジする。その状態でひとしきり「いないいないパパァ」(いないいないバァの亜種)を10回ほど繰り出し、ありとあらゆる肯定的な言葉で息子を褒めちぎ...以下無限抱っこ。今日はそんなお話でした。

 

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